倉石源造について
陸軍第十三師団の高田誘致に尽力した倉石源造(当時町長。のち初代高田市長)については『高田市史』でも取り上げられていますが、ここでは師団誘致に倉石源造がどう関わったかを中心に、最近調査された資料にも触れながら記してみたいと思います。倉石源造は、安政六(一八五九)年に高田の中小町(本町五)に生まれ、幼時に倉石典太門下で漢学を修め柏崎県立学校へ入学しますが、父を亡くし中途退学、家業の洋品店を継ぎます。明治三十七(一九○四)年日露戦争に際し、「尚武会」会長として町民大会を開き出征軍人家族の救護を企図します。師団誘致の他に「高田開府三百年祭」の祭典委員長を務め、また市庁舎や高田商工学校の建設、ガス水道事業にも大きな業績を挙げました。 |