経 歴

生い立ち

1918年(大正7年)10月23日、新潟県高田市(現・上越市)本町にて、初代・高田市長倉石源造の三男として生まれる。旧制・高田中学(現・高田高校)から旧制・山形高等工業専門学校(現・山形大学工学部)機械科を経て東京工業大学電気科を卒業。東京芝浦電気株式会社(現・株式会社 東芝)に勤務するも直ちに陸軍に召集され、陸軍機動部隊中尉(技術将校)として中国東北部に出征。戦況厳しさを増す中を空襲下の東京に戻り、陸軍電波兵器研究所に勤務。このとき、同郷出身のユキ子を東京に迎え結婚。その後終戦を迎え、一女と一男をもうける。

職 歴

1942年 (株)東芝に入社。

1942年〜1974年          東芝に入社以来、大電力中波放送機、FM放送機、TV放送機の設計開発に従事。

役職 :通信機技術部第2無線課主任、電子機器技術部放送機課長、放送機技術部長、電波機器事業部副技師長等。

責務 :設計品質の向上、納期と原価の確保、新製品の開発

1969年〜1976年          CATV(ケーブルテレビ)調査開発グループ長兼務。

1971年〜1976年          勤務先:(株)東芝

役職 :放送衛星プロジェクト本部長兼放送衛星技術部長

責務 :郵政省より受注予定の放送衛星システムの概念設計、予備設計、基本設計の受注、およびGE社からの技術支援によるBS国産化技術の修得、宇宙機器に関する研究開発。

1976年〜1984年          勤務先:信州大学

役職 :教授(大学院兼務)電子工学科、高周波工学担当。

責務 :研究開発と学生の教育

1984年〜1988年          勤務先:上越教育大学

役職 :教授(修士課程、電子情報技術担当)

1988年〜1998年          勤務先:信越電子ビジネス専門学校

役職 :非常勤講師、常勤講師
マイコン制御、データ通信等の授業、実習を担当。

1998年〜2005年              自営(著述業)

2005年10月2日              持病の気管支拡張症が肺炎となり、長野東病院にて死去

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