「電子立国日本」への貢献

国際的貢献

倉石は1968年1月にIEEE Senior Memberに、1993年にはLife Memberとなった関係もあり、信学論文誌に採択された倉石の論文、論4)論5)等が日本語版であったにもかかわらず、世界各地から多くの反響があった。倉石は1986年5月初めから約1年余り、IEEE trans. on CAS(Circuits And Systems)のmanuscript reviewerの一人に選ばれ、世界各地から来る多くのE級増幅器(米国のN.O.Sokalが考案した高性能トランジスタ増幅回路)に関連した論文原稿の査読と意見を求められ、半導体増幅回路の設計技術の進歩に貢献した。

倉石は、1987年および1988年のFIS(Frontiers in Education Conference)に出席して、論6)論7)を発表し、中学生および電子系大学院生の情報教育の改善に貢献した。

東芝は、わが国では初めての太陽電池パネル展張型、ゼロモーメンタム、三軸安定姿勢制御方式の、実験用中型放送衛星(BSE)を、米国GE社の技術支援を受け、1978年4月に打ち上げて、静止軌道に乗せることができた。BSEに関する大要は、論3)に発表されている。BSEで得られた資料は、映像情報メディア学界に大きく貢献したものと期待される。倉石は定年により、主として技術開発指導者として働いた放送衛星プロジェクト本部長を退き、BSEプロトタイプ試験中に信州大学工学部へ移った.

国内的貢献

わが国では1953年2月NHKがTV の本放送を始めたが、NHKが米国のRCA社からLバンド(第1〜3チャンネル)、NTVがHiバンド (第4〜12チャンネル)の10kW放送機を輸入し、実物をコピーしたり、据付け調整だけを日本のメーカーに依頼したりして、やっと本放送に間に合わせたのが実状であった。倉石等はVSBF(残留側波帯フィルタ):スロッテドブリッジ、スラグ同調回路:論2)参照、同軸回路反射素子等の理論解析を行い、TV放送機の国産化を可能にした。周波数特性の確保、放送機故障時に備えた予備機への切り替え、並列運転等の操作が確実短時間で出来るようになり、TV放送所の無人化と性能向上に貢献した。論1)の写真Fig.9の中に特2)が使用されているのが見える。
これらの研究の成果により、1971年7月に東京工業大学より工学博士の学位を授与された。

専門分野

倉石の専門分野は、1971年頃までは大電力中波放送機とTV放送機の設計開発であった。さらに年齢を重ねるにつれいろいろの専門分野を受け持つようになった。倉石が昔開発した装置も固体化されたものが多い。特に1979年頃から実用されたSAW(弾性表面波)フィルタは、巨大で調整が難しい高周波段フィルタを不要にした。そして中間周波変調方式が映像送信機の主流になった。電子管がトランジスタに置き換えられてゆくに従い、倉石が研究開発した装置も固体化されたものが多い。それでは昔の技術者の研究開発は全て無駄であったかと言えば、そうでもなかろう。今日の新しい技術は昔の技術者の作った階段の上にできたものと考え、次の事例を述べる。
 TWT中継用放送機の場合、TWTによる音付きカラーテレビ電波の増幅は、東芝の技術陣にとって初めてのことであり、取り扱う電力も、920kHzのカラービートを考えると、125Wまで直線性を伸ばす必要があった。TWTの発生する高調波、雑音の原因となるTWTの真空度改善の問題等、技術的問題が山積していた。倉石は、技術開発指導者としてこれらの解決に貢献した。このTWT中継用放送機の長所は、進行波管1W50の利得が高いこと(30dB以上)、長寿命(MTBF=25,000時間)で、保守が容易なことであった。この放送機はNHKと民放併せて254台を受注した。倉石は各種大電力放送機の設計開発に貢献し、社長から特別表彰を受けた。しかしUHF帯大電力トランジスタの進歩はめざましく、1985年頃までに中継用放送機は殆ど全部固体化されてしまった。それでは倉石等が進行波管1W50に注いだ努力は全て無駄だったのであろうか。否である。例えばBSの放送電波は12GHz帯であり、出力増幅はTWTで行われている。1W50で蓄積された技術は、BSやCSで大いに生かされていると考えるべきであろう。

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